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障害者 & 難病患者 tomoのブログ【ともに きなりに】

難病 ギラン・バレー症候群を患い、障害者になったtomoが『障害は「障害」じゃない。ありのままの自分で、思いのままに生きよう。』をコンセプトに日々を綴るブログです。自身の大病経験と、元企業人事→→現在社会保険労務士を目指している経験から、「ある日突然、大病を患った方およびそのご家族」のお役に立つ情報等も書いていきたいと思います。

パラリンピックは「障害者版のオリンピック」と思っていませんか?実は違います!!では本当のパラリンピックとは?(リオデジャネイロ2016パラリンピック情報☆その2)

パラリンピック 障害者スポーツ

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こんにちは。障害者で社労士タマゴの、tomoです。
 
リオ五輪で熱い戦いを繰り広げた日本人代表選手たちが、続々と帰国していますね。
 
次はいよいよパラリンピック…と機運を高めていきたいところなのですが、どうやらブラジル リオでのパラリンピック開催に暗雲が立ち込めている様子…
 
東京2020に向けても、財政問題はずっと争点になっていますので、それは彼の国でも同じと想像に難くないのですが。どうやらそもそもオリンピックそのものの実施に関しても、日本(東京)とブラジル(リオデジャネイロ)では、市民の気持ちの面で相違があるようです。
 
オリンピック並びにパラリンピックは、われわれ日本人にとっては、「国民的イベント」という意識が強いが、現下のブラジルでは、ルラ及びルセフと2代続いたPT政権による「置き土産」といった見方もある。長期にわたる景気低迷に伴い多くの国民が苦境に立たされ、PT政権に対する批判が高まるなかで、国民の意識はイベントの成功に向かっていないともされる。

toyokeizai.net

 
実際に、大会開催を支えるボランティアに関しても、問題が噴出している模様です。
過酷なスケジュールと、毎日8〜9時間もの連続勤務にもかかわらず、ボランティアへの食事も十分に支給されないとのことで、なかには大会の途中でボランティアを辞退する人も。
 
オリンピックが開催してから1週間ほどで15,000人もの人が姿を消したとか…

www.huffingtonpost.jp

 
 
とはいえ、4年に一度のパラリンピック
そこに賭けるパラリンピアン(パラスポーツ選手)たちの想いは、オリンピックの代表選手たちとなんら変わるものではありません。
 
なんとか無事に、開催に漕ぎ着けて欲しいですし、リオオリンピックの閉会式で見たような感動的なフィナーレを、リオパラリンピックでも見たいと心から期待をしています。
 
tomoブログ【ともに きなりに】では、リオパラリンピック開幕から閉幕まで、少しでも多くの方にパラリンピック情報を届けていきたいと思います。パラリンピック情報を共有することで、遠く日本から応援していきます!
 
 
リオ パラリンピックの開幕は、9月8日(木)です。
 
開幕まで、あと15日!!
 

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今日の記事テーマは、まとめ記事で予告していた通り、「そもそも、パラリンピックとは?」です。
 
 1) パラリンピックの定義と歴史 ←今日はここ
 3) パラリンピックのいま
 
上記のような三本立てで書いていきたいと思います。
ではまずひとつめ。パラリンピックの定義と歴史について、一緒に見ていきましょう〜♪
 
1) パラリンピックの定義と歴史
先日の記事でも、日本人のほとんど(実に98.2%!!!)がパラリンピックという言葉を知っていたという調査結果を紹介しました。
 
最近テレビCMやインターネット広告でも、パラスポーツやパラリンピアンの映像を目にすることがちょこちょこ増えていますね。それ故に、パラリンピックが障害者版のオリンピック…というようなイメージをお持ちの方も多いと思います。
 
でも、ここでいう「障害者」って、具体的にどんな障害者のことをさすか、明確に答えることができますか?
 
tomoは、正直なところ障害者になるまで答えられませんでした。
パラリンピック = 障害者のオリンピック、と単純に思っていました。
 
でも、違うんです。
 
パラリンピックには、すべての障害者が出場できるわけではないんです。
 
様々な歴史を経て、現在は身体障害者知的障害者パラリンピックに出場するようになりました。しかし、それでも身体障害者の中にも、パラリンピックに参加できる障害者と、できない障害者がいます。
 
どういうことでしょう…?
少し、パラリンピック障害者スポーツ大会の歴史を紐解いていきましょう。
 
現在のパラリンピックの原点。
それは、ロンドン郊外にあったストーク・マンデビル病院の脊髄損傷科が行った、車椅子患者によるアーチェリー大会だと言われています。
 
ストーク・マンデビル病院は、もともとリハビリ・治療の一環としてスポーツを取り入れていました(ポロ・バスケットボール・卓球など)。そして、ロンドンオリンピックが行われる1948年、
ロンドンオリンピックに合わせてストーク・マンデビル病院内で16名(男子14名・女子2名)の車いす患者(英国退役軍人)によるアーチェリー大会を開催。これがパラリンピックの原点である。 引用元:日本パラリンピック委員会 
 
その後、参加国も増え、ローマでオリンピックが行われた1960年ローマオリンピックの開催後に国際ストーク・マンデビル大会が実施されました。このローマ大会が、後に第1回パラリンピックと位置付けられています。
 
そして、次のオリンピックが開催された国。それが日本です。
1964年の東京大会を控えていた日本の関係者が、車イス使用者だけでなく、すべての身体障害者が参加できる大会にするべく奔走します。そうして、東京オリンピックの開催後に、のちに第2回パラリンピックと位置付けられる国際身体障害者スポーツ大会が日本で実施されます。
 
パラリンピックという名前も、この時に生まれました。
国際ストーク・マンデビル大会(脊髄損傷した車イス使用者の大会)がベースとなったものでしたので、「Paraplegia(対麻痺=下肢麻痺者)」の「Olympic」ということで、Paralympic と名付けられました。
 
その後、やがて視覚障害者、四肢切断の障害者、脳性麻痺の障害者も出場を許されるようになり、国際的なスポーツ大会へと発展していきます。
その過程の中で、リハビリ・治療の延長ではなく、より競技性の高いスポーツ大会を目指す機運が生まれました。
 
そうして時代の流れと関係者の尽力とともに、オリンピックとパラリンピックが連動していき、現在の「オリンピック開催国は、オリンピック終了後にパラリンピックを開催する」という合意へと繋がっていきます。
 
現在では、「Parallel(もう一つの) + 「Olympics」 の意味として、パラリンピックという言葉が使われています。
 
国際的で高い競技性を誇る世界最高峰のスポーツ大会に発展を遂げたパラリンピック
障害を持っていても、それに屈せず努力を積み重ねることで超人的な力を発揮して世界の舞台で活躍するパラリンピアンの選手たちは、同じ障害者としても心から尊敬をします。
 
パラリンピックを通じて、より広く世の中に障害者の存在を知ってもらいたい。
そう思っているので、tomo ブログでもパラリンピックを取り上げています。
 
でも、先ほど書いたように。
パラリンピックには、すべての障害者が出場できるわけではないんです。
 
様々な歴史を経て、現在は身体障害者知的障害者パラリンピックに出場するようになりました。しかし、それでも身体障害者の中にも、参加できる障害者と、できない障害者がいます。
 
次回の記事では、「パラリンピックの黒歴史」と題して、その辺りを書いていこうと思います。
 
 
ご縁があってこのブログに辿り着いて頂けた方は、ぜひ、障害を持った Super humans が大活躍をするパラリンピックにもアンテナを張って頂けたら、これ以上の喜びはありません!
 
リオ2016パラリンピックについては、記事をあげ次第、順次こちらにリンクを貼っていきます。↓↓
 
 
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「突然大病を患ったら…」シリーズの記事(傷病手当金・高額療養費・雇用保険(失業保険)・障害者手帳障害年金など)について読まれる方は、こちらのリンク↓↓をご覧下さい。
 
 
それでは、今日はここまで。
最後までお読みいただきありがとうございました!
またブログでお会いできることを楽しみにしています♪
 
tomo
 
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