パラリンピックの黒歴史。金メダル剥奪・排斥追放事件と埋まらない溝。すべての障害者がパラリンピックに出場できるわけじゃない。聴覚障害者・知的障害者とパラリンピック(リオデジャネイロ2016パラリンピック情報☆その3)
国際パラリンピック委員会(International Paralympic Committee)が1989年に発足した当時は、国際ろう者スポーツ委員会も加盟していましたが、デフリンピックの独創性を追求するために、1995年に組織を離れました。そのために、パラリンピックにろう者が参加できない状況が続いています。
とのことです。
デフリンピックの独創性とは、コミュニケーション全てが国際手話によって行われ、競技はスタートの音や審判の声による合図を視覚的に工夫する以外、オリンピックと同じルールで運営される点にあります。また、パラリンピックがリハビリテーション重視の考えで始まったのに対し、デフリンピックはろう者仲間での記録重視の考えで始まっています。しかし、現在は両方とも障害の存在を認めた上で競技における「卓越性」を追求する考えに転換しています。
とも、書かれています。
両方とも障害の存在を認めた上で競技における「卓越性」を追求する考えに転換しています。 引用元:全日本ろうあ連盟 スポーツ委員会 デフリンピック啓蒙サイト
であるならば、なおさら…
ふたつがひとつになることで、きっと乗り越えなければいけない壁もいろいろと出てくるのでしょう。けれど、それと同様に一緒になるからこそのメリットもあると思います。
本大会でスペインが知的障害者バスケットボールチームに健常者選手を潜り込ませて金メダルを獲得していたことが露見した。知的障害者クラスのチーム12人中10人が健常者であったとの内部告発で発覚した。その結果、スペイン障害者スポーツ連盟の会長が辞任、メダルは剥奪となったのは当然であるが、さらには、国際知的障害者スポーツ連盟(INAS-FID)もIPCから資格を剥奪されてしまった。1998年長野冬季パラリンピックにおいて初めて知的障害者がノルディックスキー距離競技のみに参加を認められ、その後の知的障害者が参加できる競技種目の拡大が期待されていたのだが、この事件のために全ての知的障害者が再び障害者スポーツの祭典から排除されてしまい夢を断たれることとなった。 引用元:Wikipedia/シドニーパラリンピック
なんと、脊髄損傷した車椅子利用者から始まったパラリンピックが、せっかく参加対象を拡大し盛り上がりを見せていたというのに、そこに冷や水どころか、氷水を浴びせるような、非常に悲しい事件が起こったのです。
水泳において我が国初となる知的障害者のパラリンピック金メダリストである田中康大を生んだ。 引用元:Wikipedia/日本知的障害者スポーツ連盟
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